NEWS

2015.08.20

アトリエ栖風 一級建築士事務所 橋本 尚之さん

その空間にいる人が笑顔になる。
そんな建築物を創りたい。

建築士といえば、どんなイメージだろうか。例えば、建物のラフスケッチをさらさらっと手描きしたり、図面を精緻に仕上げていたり。いずれにしてもオシャレでかっこいい。そんな男前イメージはしっかり保ちながら、泥臭い作業にも地道に取り組む建築士がいる。すべては「使い手の笑顔のために」。

どんなお仕事をされているのですか?

いわゆる建築設計を手がけています。元々は住宅がメインでしたが、最近は旅館、店舗、医療施設などが増えてきました。サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)や特別養護老人ホーム(特養)などの大規模物件では、2500㎡クラスの案件に取り組むこともあります。

建築設計といえば、建物のデザインをして設計図を描くことですね。

一般的なイメージはそうでしょう。とはいえ現実的には、デザイン・設計に至るまでが長い道のりなのです。サ高住や特養などの大規模物件では、行政の許認可が絡み、近隣住民との調整も欠かせません。物件が大きくなるほど関係者の数が増え、複雑な利害関係が生じます。ここで調整をしくじると、建築計画そのものが無くなってしまうこともあるのです。話が持ち上がってから、実際に建物ができるまでの全プロセスでみれば、デザインが占める割合は、全体の1割にも満たないのではないでしょうか。

デザイン・設計以外のプロセスにも建築士が関わる?

普通の建築士は、まず関わりません。ところが、なぜか、私のところにはいろいろな相談が集中するようです。例えば地権者との交渉、行政に対する折衝、地域住民に対する説明会等など。本来なら建築士の出る幕ではありませんが、頼られると「いやだ」と言えない。そういう性格なのかもしれません。ただ、経験を重ねるうちに、問題解決のノウハウが身についたことは事実です。だから個人でやっているにもかかわらず、いろいろな案件に声をかけてもらえるのでしょう。

建築の世界に進んだ理由をお聞かせください。

大学受験を前にして考えたことが2つありました。自分の得意科目は数学、国語、社会と美術。数学ができるので本来なら理系ですが、理科がどうにも苦手でした。数学と美術を活かすなら、建築がいいと思ったのです。もう一つの理由は「士」の付く職業に就きたかったこと。幼い頃から高3まで剣道をやっていたので、何か一つの道を極める「士」に対する憧れがありました。私が受験した頃は建築士が人気で、大学の競争率は10倍を超えていました。幸い現役合格できたものの、同級生には二浪、三浪している人が多かったです。

大学卒業後、建築士として働き始めたのですね。

京都の建築家、日本でも名前の通った方の事務所に入れてもらいました。ところが、建築デザインをさせてもらえなかったから1年で辞めています。今から考えればありえない話ですが、当時は建築事務所に入ったら、すぐにデザインできるものと思い込んでいました。それなのに来る日も来る日も雑務ばかり。建築は好きだけれど、こんな仕事はやってられないと思ったのです。

それでも、建築への夢は諦めきれなかった?

大学の先輩が自分の勤めている事務所に誘ってくれました。安藤忠雄さんから実施設計の仕事を依頼されるレベルの高い所です。面接で「安藤さんの仕事があるから、やってみないか」と尋ねられて、即座に断りました。もちろん、安藤さんがどんなにすごい人であるかは、重々わかっています。けれども、新しい事務所に入ってまで、人の仕事をやりたくないと思ったのです。これで面接合格、というか事務所のボスから「たった今から、お前の性根を叩き直してやる」と言われ、面接直後から仕事をさせられました。

そこで頑張ってこられたから、今があるわけですね。

その事務所は30歳定年制だったので、5年間だけ辛抱する覚悟で入りました。けれども、あまりにつらくて「誰かクルマでオレを轢いてくれないか」と思っていたものです。ところが5年目のある日、真っ暗だった目の前に急に青空が広がった。定年寸前に任された、あるプロジェクトで霧が晴れるように仕事がすんなりできた。ボスが言うには、デザイナーは2つのタイプに分けられるそうです。一つは天賦の才能に恵まれ、手が自然に動いてデザインできる天才肌。もう一つは、経験を重ねる中で引き出しがたくさんでき、その数があるレベルを超えると急に開眼するタイプ。自分では自分を天才だと自惚れていたけれど、実際にはそうじゃなかった。だから、5年間がまんして基礎を固めた時に急に伸びたようです。

30歳で仕事もできるようになり、めでたく独立されたのですか。

30歳になった時に、取締役として残ってくれと頼まれました。No.2として事務所をまとめてほしいと。現金なもので、仕事ができるようになり、信頼もされということになるとやる気が出ます。ボスにはきついことを言われ続けてきましたが、安藤さんの仕事をずっとやらせてもらいました。今にして思えば、安藤さんが手がける巨大物件のお手伝いをしていたからこそ、一人事務所なのに大規模物件をこなせるのです。何しろ設計から管理まで、あらゆることを経験していましたから。

その後、独立して京都に来られたのですね。

ちょうどリーマン・ショックの後に、景気が悪くなり、仕事が落ち着いた時期がありました。この機会を逃したら、もうやめられない。ボスからは会社を継いでほしいと言われましたが、彼は超・元気です。だから社長になれるとしても30年ぐらい先でしょう。それなら一人でやろうと、好きな京都に戻ってきたのです。

橋本さんにとって「建築」とは、どんな仕事なのでしょうか。

建築基準法第一条には「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。 」と記されています。ここにすべてが集約されている。つまり私の仕事は、人の生命と財産を守ることなのです。建築とは、決して単にかっこいいデザインや奇抜な意匠を作ることではありません。生命、健康、財産が保護されることで、その建築物を使う人が笑顔になること、これこそが建築の存在価値です。その価値を見出し、形にするのが建築士の仕事だと思います。

share KARASUMA に来られたきっかけを教えてください。

最初は自宅で仕事をしていました。ところが、それではどうしても引きこもりがちになります。たまたま妻がフューチャーベンチャーキャピタルの牧野さんと知り合いで、紹介してもらったのがキッカケです。ここに来て、いろいろな人と知り合うことができ、一気に仕事の幅が広がりました。

ご自分を漢字一文字で表すと何でしょう?

「筋」だと思います。最初にお話したように、建築デザインにとりかかるまでにはさまざまな障害があります。これを乗り越えるには「筋を通す」ことしかないのです。正面突破でぶつかるから、軋轢は避けられません。けれども、そこで筋を違えると、絶対にうまくいかない。筋をきちんと通せば、いずれみんなが納得してくれるものです。建築はもちろん、生き方にも筋を通す。そんな人生をめざしています。