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2015.07.15

株式会社二十八(ふたや) 原巨樹さん

和服文化の担い手・職人を守り、
着物の良さを未来に伝える。

shareKARASUMAからほど近い京都・室町は、かつて日本の呉服の中心地だった。

今から30年ほど前までの室町通は、その両側がまさに呉服屋で埋めつくされていたのだ。ところが

時代は移り、呉服産業は今や完全な斜陽産業である。そんな中、一人の起業家が、日本の呉服文化

を守るために立ち上がった。

どんなお仕事をされているのですか?

京呉服を受注生産し、いささか常識破りの低価格で提供しています。主な扱い商

品は、京呉服の最高峰といわれる手描き京友禅と西陣織の帯です。注文に応じて、職人さんたちが

図案を一から起こして仕上げる京友禅は、百万円以上の商品も少なくありません。けれども、呉服

業界の因習を打ち破ることで、極めてリーズナブルな価格で提供できる、これがうちの強みです。

 

ご出身は大分で、前職は東京です。なぜ縁もゆかりもない京都で起

業されたのでしょう。

呉服づくりは、お客様の注文を承ることからスタートします。お客様の要望をきめ細かく伺い、そ

れを職人さんが理解できる言葉に私が翻訳して伝えるのです。京友禅の名匠がどこにいるかといえ

ば、やはり京都。だから本場での起業にこだわりました。実際こちらに来てわかったのが、職人さ

ん同士の伝統的ネットワークが、まだ生きていること。仕事をいただいてくることで、このネット

ワークを次の世代に伝えていくことも、私の使命と考えています。

元は海上自衛隊の幹部だったと伺いました。

高校卒業後、防衛大学校に進みました。建築士へのあこがれもあり、進路についてはずいぶん迷い

ました。けれども、普通の大学に行けば、おそらくは易きに流されてしまうでしょう。まずは社会

人となる前に自分を徹底的に鍛える。それならば尋常ではない環境が良いと考えました。実際、朝

6時半の起床に始まり、分単位のスケジュールで管理され、過酷な訓練や上級生からの厳しい指導

で鍛えられる毎日は、自分の中に、日本の歴史を継承するという矜持を埋め込んでくれたと思いま

す。毎年、学生の多くが辞めていく中で、4年間がんばりぬけたことは、自分にとって大きな自信

となっています。

前途有望な自衛官が、あえて衰退産業の呉服業界で起業する。その

理由を教えてください。

何より私自身、着物が大好きなのです。呉服こそは和文化の象徴であり、後世に残さなければなり

ません。自衛官時代に海外に行くことがあり、そのたびに感じたのが日本文化のすばらしさです。

自衛隊を辞める頃、初めての着物を誂えました。それからの数年で、自衛隊時代の蓄えもすべて着

物に注ぎ込みました。時代が変わり、ライフスタイルがどれだけ変化しても、日本人が世界で自信

を持てる装いは和服。そんな思いが、私の中では確信となっています。ところが呉服業界について

学び始めると、かけがえのない文化が、絶滅の危機に瀕していることを知ったのです。小売店や問

屋がダメになっていくのは自業自得ですが、呉服文化の真の担い手である職人さんだけは、誰かが

守らなければならない。それこそが自分の天命だと悟りました。

とはいえ極めて古い体質の呉服業界での新規参入は難しいのでは?

だからこそチャンスがあるでのではないでしょうか。呉服業界がダメになった理由は、旧態依然と

した体質を引きずっているからです。小売価格が百万円を超える京友禅で、手描きの職人さんが得

ている報酬は驚くほどわずかです。業界には古くからの因習があり、極めて複雑な流通経路がある

からです。そこに風穴を空ければ良い。そうすれば職人さんにはこれまでより多くの工賃を払うこ

とができ、なおかつお客様には従来より安く提供できます。しかも、お客様の要望を伺って望み通

りの品を仕上げるのです。お客様は必ず喜ばれるし、その喜ぶ姿は職人さんにとって仕事のやりが

いに繋がります。

まるで職人さんのために呉服屋を営んでいるかのようです。

職人さんを守るためにも、ビジネスとしてきちんと成立させることが必要です。いま最も深刻な問

題は、職人さんの後継者がいないこと。職人になりたい若者はたくさんいるのですが、受け皿とな

る働き口がありません。翻って呉服業界の流通の中で、商品一点あたりの利益が最も大きいのは小

売店です。ですからこれからの時代は小売店が職人を育て雇用して行かねばなりません。残念なが

ら呉服業界には、そんなことを考えている関係者はほとんどいないでしょう。だったら自分がやる

しかない。若輩者が生意気なことをいうようですが、稲盛氏のいわれる「私心」なく仕事に取り組

んでいるつもりです。

自衛官だった方が、どのようにして呉服の知識を身につけたのでし

ょうか。

自衛隊を退官したあと、知人の不動産会社で経営全般を学びました。この時に得た教訓が「リスク

管理を徹底し、家賃と人件費を抑えれば、会社は続けられる」ということです。その後、無職にな

って全国の着物産地をめぐっていたので、1ヶ月5万円の生活費で暮らしていました。食費は毎月

5000円でしたから、近所の農家で野菜を買い込み、業務用パスタで食べるような生活でした。でも

この時に人生は非常に味わい深いなぁと実感しました。後に志ん生師匠の「貧乏は”する”もんじゃ

ありません、”嗜む”ものです」という名言に心打たれたものです。夜行バスで全国の着物産地をま

わり、職人たちから膝つき合わせて話を聞く。まさにわくわくする体験でした。その後、東京で呉

服屋に就職したのです。ここで5年ほど勤めて、徹底的に既存呉服店のノウハウを身に付けました

。その上で新しい呉服ビジネスの仕組みを計画していたので、独立したら絶対に成功すると確信を

得たのです。

株式会社二十八の経営者として、今後の展望をどのようにお考えで

すか。

必ず日本一の呉服屋になります。取っかかりとして5年後には年商30億、全国に20店舗、社員数50

人の企業になります。こんな思いで呉服に賭けている人間が京都にいる、そのことを一人でも多く

の方に知っていただくことが、喫緊の課題です。

shareKARASUMAに入居された理由を教えてください。

京都にあるシェアオフィスをいくつか見て回りましたが、呉服という高額商品を買ってくださるお

客様を安心してお呼びできるのは、ここしかないと思いました。受付から内装、仕事場の雰囲気ま

ですべてが、どこよりも「かっちり」した印象を受けたのです。株式会社として住所登記できるこ

とも大きなメリットです。

ご自分を漢字一文字で表すと何でしょう?

「真」、これが私の目指す人生です。呉服屋としての真実の姿を追求し、和文化という自分にとっ

ての真実を生涯かけて追い求めいく。それが自分にとっての「真」につながる。そんな人生を京都

で歩んでいきたいと考えています。